心の呼吸
自分のことだけを考えて生きる、というのはなかなか難しい。本来は。
だが多くの人はその難しさに気づかず、気づかないゆえにいとも容易く、自分勝手に生きている。少なくとも俺にはそのように見える。
「勝手」とか「いい加減」とか「自由奔放」とか「適当」とか、
全部いい意味で捉えれば、すべて「自由自在」と解釈できる言葉たち。
人間にとって<最高の状態>を表していると思うんだけど、実際のところ、ネガティブな意味で通用しているよね。「しっかりしてない」みたいな意味で。上で俺自身も使ってる「自分勝手」も、否定的な意味合いだし。
自分勝手に生きるのは、その意味をよく考えたとき、ものすごく難しいんだけど、気づかずに自分勝手しちゃってる人たちは、半端なので、ネガティブな結果だけ残しちゃってる、そういう人が大多数だってことかね。
自分勝手に生きて、利他的な結果を残す。自由自在って、そういうことなんだろう。
意識して生きていきたいものです。
毎日の生活の中で大切なのは<心の呼吸>。我が人生のテーマの一。
心 呼 吸 (しんこきゅう)
心はなかなか勝手には呼吸してはくれないもので、
意識的に呼吸させてやる必要があります。
最初は、「ありがとう」とか「おかげさま」とか、そういうプラスな力をもつ言葉をとにかく言ってみる。そんな感じで始めましょう。
言葉の力の効用で、心にフワッと高揚感が生まれるようになったふとした瞬間に、身体を大きく広げ、両手を外から内に回して、ゆっくり輪を描きます。頭上に両手がくるころに合わせて背伸びします。脊髄が上にひっぱられているイメージで。
自然とフぅっと息がでる。この時、吐き出されているんです。言わないように我慢したマイナスな力をもった言葉たちが。
俺たち人間は知らず知らずのうちに、多種多様なコミュニケーションに無防備にさらされ、影響を受けている。俺たち人間の心は、駅のトイレのように、誰かのせいでいつの間にか勝手に汚れてくるけど、次の日には誰かのおかげで勝手に綺麗になっている。(あなたが駅員さんか清掃員さんなら、職場以外のトイレをイメージしてください)
でもやっぱ最後は、自分で意図的に綺麗にしてやる、そういう心持ちでいないといけない。
心は、トイレだ。
だから、「心呼吸」を意図的に実践して、調子を整えていってください。
写真:石垣島・野底林道にて。晴天に枝広げる枯れ木。
「狂記」という言葉について
はじめまして。徳逸記へようこそ。出会いましたねぇ。
初回となる今回は「狂記」という言葉について考えます。
このブログの存在意義です。
きょうき、と聞くとまず思い浮かぶ言葉は「狂気」ですね。
狂った気持ち。誰しもが心に偏在しているでしょう。
特にメディアは、現代に生きるイロイロな方々の<狂気の沙汰>をセンセーショナルに取り上げますから、「狂気」とは何たるか、イメージするのは容易いですね。
狂った気持ちを記す。それが「狂記」です。
言いたいけど言えない。を伝わるかたちで表現したい。
だから記すのです。
「博覧強記」という言葉があります。
世間が広く、インプットしたものを自在にアウトプットできる人のことです。
それも、なかなかできない。あなたも、俺も、「○○の専門家」も。だから記すのです。
誰とコミュニケーションしているかわからないインターネットという場において、自身の発言をおいておくという行為は、ひとつの狂気であると思う。
今日考えたことを、記すための「狂記」なのです。
しばらくは、コメントすべてに返信します。
写真:石垣島・名蔵湾より眺める一番星(2012年)